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人間やりたい記 2007年3月20日 昼

マラソンランナーは孤独か

ああ、この緊張感!
何か、得体の知れないかたまりが、胸や腹にズシリズシリと詰まって行く感じ。ライブの前の切られるような緊張感とは、明らかに違う。中、高校生だった頃のあの感じ。陸上部だったおれは、試合が近づくと決まって、こんな緊張感に見舞われ、追い詰められた。スタートラインに、他の学校の選手達と並んだ時の孤独。皆、とがった、ギリギリと歯軋りをしているような顔つきで、生き残りを賭けた闘いに挑まんとしている。おれも必死で自分を奮い立たせ、蹴散らし、それに勝たなければならない。勝ち負けの非情が生む孤独、それを思うと試合に行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。大地震が来て、試合が流れるようにと、本気で祈った。あの頃の緊張感。
今日、おれはフルマラソンに挑む。荒川市民マラソン。42,195キロ。
朝4:00に起きた、歯を磨いて飯を食った、軽いストレッチをした、6:00過ぎに家を出た、TEAM YOITEN〜Club251から緒方、秋山、高塚、グレープバインチームから亀ちゃん、金戸、小島、ClubQueから紅一点長島、それにおれ、新宿で、普段とはなんだかちょっとずつ違った表情をした皆と合流、埼京線に乗り込んだ、どうやら、同じくマラソンに出走するのだろう、ジャージ姿の人がちらほらと乗り合わせていた、池袋でその数はぐんと増えた、赤羽、ジャージ姿が車両いっぱいいっぱいに溢れてしまった、ジャージジャージジャージ...ジャージ...ジャージ...その瞬間、ずうっと忘れていた、古いスイッチがオンになった。おれの胸や腹に、得体の知れないかたまりがズシリズシリと詰まり始めたんだ。
ああ、この緊張感!

「マラソン、一緒に走る?」
溜まり場と化している下北沢の酒場で、金戸が言ってきたのは、去年も暮れの11月だった。おれは陸上部時代、1500メートルを中心とした中長距離の選手だったから、マラソンを走ったことはなかったけれど、その過酷さや、完走するために必要な練習量は大いに想像できた。簡単なことじゃあない。例によって大量のアルコールで記憶をふっ飛ばしかけてたのが、ふっと冷めた。「どうする?」本気で考えた。.........ー宙ブラリでピアノを本格的に弾くようになって2ヶ月。どこか釈然としない。それが何なのか、どうにも「これだ!」って突き抜けるような感覚がない。こういう時に、自分のこれまでに得た生活、経験範囲で解決しようとしても、無難にまとまっちゃうのが関の山なんだろうな...お寺に体験修行にでも行ってみるか?とか本気で考えたりしていた時期だった。ちょっとした修行だな、こりゃ。...まあ、なにかしらは得られるだろう。
「よっしゃ、やったる!」
宙ブラリの創成期、一緒にスタジオに入ったりもした、同い年の金戸と、40歳になった今、また一緒にマラソンに挑戦するのも、なんだかいい感じじゃあない?

その金戸の先導で「浮間舟渡」駅を下車、ホームいっぱいの同じ目的を持った老若男女。どの人からもストイックな緊張感が発せられていて、その人数のわりに、圧倒的に言葉が少ない。冬の晴れ空、冷たく澄んだ空気、黙々と進む人人人人人...
お帰りの際は大変に混雑することが予想されます
えーーーお帰りの際は大変な混雑が予想されます
今のうちにお帰りの乗車券を購入されるようお願いいたします
えーーーお帰りの際は大変な混雑が予想されます
今のうち、お帰りの乗車券を購入されて下さい
えーーー乗り越し清算
えーーーなおー乗り越し清算のお客さまー
乗り越し清算のお客さまはーーー
改札左手、改札左手にて清算をいたしております
えーーーどうぞご利用願います
えーーー本日荒川市民マラソン
荒川市民マラソン
荒川市民マラソン
荒川市民マラソン
2007、3月21日 日曜 晴れ 
荒川市民マラソンが始まる

ぎゅうぎゅう詰めの送迎バスに揺られること5分。荒川土手脇の道路で降ろされる。8:00AM。スタートまで1時間。荒川土手を、足を痛めないように...って、笑っちゃうくらい慎重に慎重に登る。ブワッ!やがて強い風が吹きつける。眼下が開ける。
「うわっ!広っっっ!」
見渡す限り、どこまでも広大な川っぺりの平地、平地、平地。そこに大小さまざまなテントテントテントテント!簡易トイレの列列列列!それらの間に溢れまくる人人人人人人人!なんだか予想をかなり上回った規模の景色なんだよね。
「ありゃーーーーー!」
「こりゃあ、すげーーーや...」
TEAM YOITENから思わず声があがる。出走者、役員やボランティアの人なんかを含めると、2万からの人が“マラソン”とゆう“祭り”の始まりを戦々恐々騒々黙々、ワクワクドキドキ、今か今かと待っている。その熱気、3月の冷気、光、風、水、道。マラトンの戦いで勝利したギリシャ軍の伝令が、味方の勝利を伝えるべく、マラトンからアテネまで走った。光と風と水と道に包まれて、走った。マラソンは陸上競技とは違うんじゃあないかな...?
土手の上から見渡した景色、スタートライン、そこからずっと伸びる道ノ凄く原始的でシンプルな感じ。自然と己との戦いとでも言うのかノ何か違うぞノおれの胸と腹にもたれていたカタマリが、ゆっくりと溶け出す。
光に焼かれ、風に煽られ、1ヶ月前に痛めたふくらはぎが悲鳴をあげたとしても、たとえ完走できなかったとしても、「別にそれでいいじゃん」って思った。それがおれの挑戦した、このマラソンのゴールなんだ。マラソンのゴールは一つじゃあない。参加した人数分のゴールノ気持ちがクリアーになった。「よっしゃあ!走るぞ!」
参加者登録をして、更衣テントまで行く道々、あまりの人で皆とはぐれてしまった。まあでも、TEAM YOITENを繋ぐ、目に見えぬ、太い一本の糸みたいなモノが感じられた。構わん構わんノ自分に集中しよう。
8:30AM、荷物預かりテントの近くで、ひたすらストレッチを続けた。体の回りに薄い膜が張って、世界から離脱して行く。いい集中感。
8:40AM、重ね着していた服を脱ぎ、走る格好になると、荷物を預けにテントへ向かう。テント入り口付近は人でごった返していて、ちょっとだけ現実に戻されるも、芯はぶれない。
8:55AM、スタート5分前のアナウンスをトイレの中で聞く。スタートに間に合うかな...
8:58AM、ゼッケン番号11342番。スタート位置が予想を遥かに上回る後方も後方で、己と戦いたがってる人がこんなにいるんだノ思わず笑ってしまう。
9:00AM、「パンッ」ー晴れた空に乾いたピストル。おれはまだ自分のスタート位置にたどり着いていない。と言っても、人の列はノロノロと歩み、前進するだけなので、適当なところで列に紛れ込む。いろいろな声や音、光と風に包まれて列は進む。
マラソンランナーは孤独か?
勿論おれは“マラソンランナー”なんて言う代物じゃあない。3ヶ月前にトレーニングを始めたような、勢い一発参加型、にぎやかし軍団の一員に過ぎない。
でも言うさ、言う...マラソンランナーは孤独なんかじゃあない。確かにこれからの数時間、独り黙々、淡々と手足の痛みや内臓の変調、ココロの瞬きと戦わなければならない。でも、今こうしてスタートラインを切った時、その独つ独つの点と点が、大きな大きな空気のうねりで包まれているのを感じる。左手には荒川がずっと遠くまで伸びている。前方に目をやると、その川の流れに平行して人の、ランナーのうねりが、やはりずっとずっと先まで続いている。小石や、泥や、魚や、ザリガニや、空き缶や、折れた枝や、破れた傘や、得体の知れないビラビラしたモノなんかが、水の粒子に包まれて、繋がれて、川の流れを成しているように、1万6千のランナーの色とりどりの個性が“マラソン”と言う粒子にしっかりと包まれ、繋がれている。とても強い一体感を、おれは確かに感じた。孤独なんかじゃあなかった。
走ってる間の記憶はあまりない。ドーパミン作用かな?8キロあたりで金戸を見つけた。驚かそうと思って、真後ろにピタリとくっついて走るも、なかなか気付いてくれない。結局2キロ近くも黙って後ろを走るはめに。可笑しくなってきて、くすくすしていると、やっと金戸気付く。それから30キロ近くまで、大して離れることもなく一緒に走った。すごく単純に楽しかった。これと言って話をするでもなし、感動的にいろいろなことを思い出すでもない。理屈とか全然抜き。とにかく楽しかった。
折り返してすぐのあたりに、宙ブラリをよく観に来てくれる女の子数人が、応援しに来てくれていて、「がんばれーーーーー」って手を振って併走してくれた。土手を手を振って走る女の子の可愛さに感動。映画映画!
この3ヶ月、おれは練習で、最長でも17キロまでしか走ったことがなかった。1ヶ月前のジョギング中、車を避けようとした際に、右足ふくらはぎを肉離れしてしまい、いよいよって時に長い距離を走ることが出来なかった。20キロ過ぎに産声をあげた、手足の痛みだったけれど、復路の強い向かい風にもやられ、25キロあたりでその痛みは爆発した。左モモは常につっているような感じだし、ふくらはぎは伸びも縮みもしないで、地面に着地する度、鈍い衝撃をズドンと、足から頭へダイレクトに伝える。長年のロック代償で、もともと悪い首が、倍の倍に悪化、まさに首が回らない。その影響で左手は痺れたまま、ひたすらにだるいし、それを知らず知らずカバーしたからか、右手まで痺れてきた。冷たい空気の激しい出し入れの繰り返しで、胸の中が、上手く言えないけれど、どうにかなっちゃってるし、水がヘンなところに入ったみたいで腹まで痛い。アニマル浜口のワハハーワハハーをやってみたりして、なんとか走り続けたが、32キロ、金戸を見失うと、ドーパミン切れ。この10キロは、もはや機械的に繰り出されていただけの、他人のモノのようだった足が、「あなたの足ですよ」って悲鳴をあげる。
「痛たたたったたたたあああああああああ!...うわっ...ダメだ...」
おれはついに止まった。止まった。ポキリと折れた。そんなおれのココロを見透かすかのように、カーーーーーーッと太陽の熱が全身に回る。足が久し振りに行った、“止まる”とゆう動作に驚いて、ジンジンビリビリと痙攣する。こりゃあ走るも地獄、止まるも地獄だ。
32キロから40キロまでは本当にきつかった。もうね、痛くて痛くてだるくてだるくて、歩くのもつらい。大して変わらないから、ってトボトボ走る、1キロ持たずにガクガクって、膝から崩れるように止まる。そっと、恐る恐るアキレス腱を伸ばし、ふくらはぎを伸ばし、モモをさすり、腕を振る。歩く。歩く。トボトボ走る。ガクガクって、膝から崩れる。練習の時はあっと言う間だった1キロが、永遠とも思える遠さ。遥かかなた。いつまで経っても届かない。マラソン川は乱れ、土手に座りこんでる人も多く、「もうダメかも...」って携帯で電話している人も。ココロが揺らぐ。体中の細胞がバラバラにほぐれてしまって、その一つ一つがカチンコチンに固まって、それがガリガリとこすれ合う、イタイイタイイタイイタイイタイ...それでも進む。歩く。歩く。トボトボ走る。膝から崩れる。を繰り返す。もうダメかも...って考え始める、あきらめかけると距離を示す掲示板が現れ、1キロが経つ。救われるんだかなんだか...36キロ......37キロ.........38キロ..................39キロ...........................40キロ...........................あと2キロ。それでもまだ永遠に思える。たったの2キロ。たったの2キロ。「桜上水から上北沢くらいのもんだぜ!」口に出して必死に言い聞かせる。たったの2キロ。たったの2キロ。たったの2キロ!
ああ、もう何にも残ってないよ、それでもおれは走っている。走っている。

冬の晴れた日に
走ろうよ
川岸の土手を太陽に焼かれ
知らない道を強い風に叩かれ
走ろうよ
あの時の選択、決断のエネルギー、情熱、キラメキ、慢心、迷走、衰弱、逃走、きっかけ、復活、挑戦、喜び...繰り返される瞬間、瞬間、瞬間
川は流れ、今に流れ着く
この瞬間に流れ着く
冬の晴れた日に
走ろうよ
こんなに痛くて
こんなに痺れて
こんなにつらいけれど
おれは走る
おれは走る
あと1キロ...
十分に戦った
十分に見つめた
おれは走る
おれは走る
この感じ
かけがえのないこの瞬間
あと800メートル...500メートル...
もう何も残ってないのに
それでもおれは走っている
あと100メートル...あと...
本当に、何も残っていない
素晴らしく空っぽ
素晴らしく透明
おれはゴールする
今、生まれる
ああ、かけがえのないこの瞬間をありがとう
マラソンランナーは孤独じゃあなかったよ

4時間50分ー
宙ピンクTシャツ軍が迎えてくれる中、おれはゴールした。頭がボワボワで何が何だか、どれが手で足なのか!?霧モヤ。流れのままに歩いて、歩いて、TEAM YOITEN応援団と合流して、おれ何しゃべってるんだ!?霧霧モヤモヤだ。
ああ、でも、気持ちいいな...
荷物を取って、人群れの中、着替える場所を探していると、座って着替えている金戸を見つけた。おれも隣に、ドタリと座りこむ。金戸が手を差し出す。しっかりと握手をした。
「40歳の力見せたな」金戸が笑う。
「おう。」
「...............」
「...............」
「いや、でも本当いい3ヶ月だったよ。」
「ん...いい3ヶ月だった.........ありがとうな...誘ってくれて。おかげで、いい経験ができたよ。」
素晴らしいゴール。これは、おれの、ゴール。
頭の霧モヤが晴れて行く。
かけがえのないこの瞬間。
空は高く、
いつまでも風は止まない。