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│人間やりたい記│
人間やりたい記
5.24昼
5・18下北沢440
ファイト一発
ヨクヨク似てる人
フレーズ
アイアイ
柄の長い真っ白な日傘
吹けよ風
フリフリフリフラ
マイナス
小学1年の時に父親が病気で逝ってしまったんだが、子供が暗くならないようにと母親が思い切ってピアノを買ってくれた。兄弟2人共私立だったし、普通なら先の事を考えて少しでも金を節約しておこうって思うとこなんだろうけど…まあなんせ口癖が「宵越しの金は持つな」って人だったから、ひらめいたらもう勢い一発買っちゃう。葬式の数日後には賑々しくもピアノが届いちゃうんだから、周囲は“白い目”とまではいかなくとも“大丈夫かしら…”ってな感じだよな。しかも着いたはいいが玄関が狭くて家に入らない。“都心の一軒家”なんつうと聞こえはいいけど、実際は狭い、日当たり不良、家同士は隣接しまくってる、ってろくなもんじゃなかったりする。換気扇を通して隣の臭いがもうもうと来るから、夏場なんて窓開けてると「ああ隣は今日は秋刀魚よ」「あら昼はカレーみたいね」手に取るようにわかっちゃう。そんなだから、家の横にも裏にもピアノが通るスペースなんてありゃしない。結局2階の物干し場まで吊り上げて、そっから入れましょうってゆう大胆な意見が採用されて、クレーン車まで登場しちゃう。ふと見上げれば8月の日差しにテカテカ黒光りするピアノが宙に揺れてるんだもの、見物人まで出てきちゃってもう大変な騒ぎ。やれブツケルナ、ガラスニキヲツケロ、モットタカク、モットヒククってね。夕方、なんとか部屋に収まった時には万歳、万歳ってやりかねない程だった。
で、ピアノを習い出すんだが、これが嫌で嫌でね。授業が終わった後、普段は野球だのサッカーだのみんなと暗くなるまで遊ぶんだけど、週に一度帰んなきゃいけない。しかも理由が“ピアノ”って…これ言えないよね。まだまだ時代は“ピアノ=女”ってな頃だったから。スイーっと存在失くして帰ろうとすんだけど、絶対そうゆうの見つけるお節介とゆうか、目ざといヤツがいるワケだ。「あれ、南どうしたの。帰っちゃうの?」みたいなね。
そりゃあもう一目散でダッシュしたもんだ。まあ程なくバレたけどね。俺は運動もそこそこ得意だったし、目立ちたがり屋で、休み時間になるとでっかい三角定規に紐結んで肩からぶら下げて“桑田(サザンの)”の真似とかしてるヤツだったから、イジメラレはしなかったけど、なんせ恥ずかしかったよな。そんな状況でやってたから、当然嫌悪感が強い、練習なんてしやしない。でも結局6年位続けたから亀の歩みながらも一応は上達するんだ。そしたら5年生の時だったか、先生が「発表会出てみない」だって。死んでも嫌だと思ったんだけど、母親が「私の目に狂いはなかった」みたいな感じでノリノリで、しかも口癖のもう一つが「あと身長が5センチあったら宝塚に入ってたのに」だったからね、本来ステージ大好きなんだな。もうダメ。泣く泣く出たよ“発表会”。だけどどうにも、ねえ、だいだい“発表会”って何?
そんなテンションだったから当日、会場に着いた時のショックってゆうか現実感の無さといったら…なんとか“大ホール”だもの。客席なんざあ、そりゃあ見事な傾斜でステージを臨んじゃってるし、その先にはバッチリライトアップされたピアノがダダーーーンってね。なんとなあくホヨヨンと思い浮かべてた“発表会”の無限倍にグレードアップなワケだ。参った。この辺から記憶無いもの。ノマレタってゆうか、もうノミコマレテ消化さえされちゃったってとこだ。やたら鮮明に覚えてるのが、本番で鍵盤を前にしてどの音から始めるのかさえ出て来なかった瞬間と、どうにかこうにか弾き終えてソデに帰って来て呆然としてた時ーー先生(確かキンノ先生って言ったかな)とあともう一人先生の友人かな?が来て、実は今回の“発表会”に参加した生徒の中でキンノ先生が教えてるの、俺だけだって言うんだ。もう一人居た友人らしき人が「南君キンノ先生の愛弟子なんだから頑張んないと」ってね。俺が愛弟子って、それもどうかと思うけど…とにかく“愛弟子があの出来じゃあなあ…悪いことしたなあ…でも愛弟子って響きいいなあ”って思ったの鮮明に覚えてるんだよな。まああまりにひどかったんで、キンノ先生も友人らしき人も“頭イタッ”って感じで笑ってのに救われたな。
ここで発奮してバリバリ練習する子は音大行っちゃったりするんだろうけど、俺はしなかった。やっぱり外で遊びまくってた。カケッコがどんどん速くなって、しまいにゃあ中学上がって陸上部入っちゃって、自然ピアノ人生は終焉を迎えるんだな。
今でもピアノを目の前にすると、あの発表会のもの凄い緊張感がね、なんだかこう体を縛り付けるとゆうか、これがトラウマってヤツなのか?どうにも一音目が思い出せないんじゃあないかと焦る。だからねえ今でも本番は、ああ見えてガチガチ。ステージ出てって、椅子にこしかけて、白黒の鍵盤を見下ろすと、あの見事な傾斜の客席が迫ってくる。照明は今夜も完璧だ。ソデでキンノ先生がニガ笑いしながら見つめてる。
愛弟子タルモノ頑張らねば。ってね。
今回の440はピアノの弾き叫びを中心にやった。やはり緊張すること山のごとしだった。しかし人間、僅かながらも成長するもんで、前回に比べて細やかな技も、気持ち入れて弾けたし、歌との一体感はかなり出せた。次回は“人間やりたい”“肉、喰わせろ”あたりの自分的に難しいアレンジの曲も繰り出すとする。6・12に喜多君とやるんで、大昔の曲もやってみた。“柄の長い真っ白な日傘”練習で歌ってみたら、なんとも好い曲でビックリ。10年前の自分ってもはや他人だね。あんなコード展開良く思い着いたもんだあ〜スゴイスゴイ。詩は確かホドロフスキーの“エルトポ”を観て書いたんだ。カルト映画の決定版みたいな映画だけど、ジョンレノンが何かしらの権利を買い取ったってのでも有名だよな。
“柄の長い真っ白な日傘”
柄の長い真っ白な日傘を肩にぼんやりと乗せて
見渡す限りの砂の浜でいつまでもそうして眺めているの
猫が群をなして通り過ぎて行くよ
足跡ポツリポツリ風に持っていかれた
暑くもなく寒くもなく
どこでもなくそこですらない
ただただ白黒の世界が
果てどなく
柄の長い真っ白な日傘を肩にぼんやりと乗せて
雨の降らぬこの頃だからいつまでもそうして眺めているの
鴉が群をなして通り過ぎて行くよ
喰いカスポツリポツリ風に持っていかれた
嬉しくもなく悲しくもなく
音などなく色すらない
ただただ白黒の世界が
果てどなく
言葉が翼生やし時には鉛が
酒が水へと変わり景色は写真に
シャツがシワを伸ばしお前が笑い方覚えたよ
まあうまいことやってるさ
日傘をさして
詩の内容は“エルトポ”に影響されてるワケじゃあないね。場面だけを借りたって感じ。
確か“猫”は風太郎を指し“鴉”はサラリーマンを指してるんだ。いずれにしても知らず知らず群をなして流されるのが怖い、みたいなね。“日傘”はついつい流されてしまう、要因となるようなモノから己を守る“何か”の象徴で、それを持って我道を行け自分。とゆうアツイ内容。最後のほうで流されかけて危うい感じを書いてるのだね。難解。
出演者は知った仲のヤツばかりで面白かった。“カイタ”の天真爛漫さは相変わらずで気持ちイイ。“内海さん”のブルージーなヴォーカルは暖かくもどこか反骨的な臭いがあって好きだな。ちゃんと英語を喋れる人が歌う英詩は、詩の内容が解らずとも響くんだよ。
“In the Soup”の“よっちゃん”がニベ君のサポートで来てたんで、ライブ終了後ダラダラと飲む。途中251のPA“しんちゃん”登場でゲーム話しに突入。尽きることなし。良き夜でした。
南 謙一
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